ある夜の、AIとの往復から生まれた思索の記録
この記事は、ある夜のAIとの対話を、一本の思索の流れとして書き起こしたものです。問いの言葉は、できるだけそのとき口にしたまま残しています。固有名詞は、当社(マココロ/間心)以外は伏せてあります。
きっかけは、ある対談動画だった。最先端のAI企業が公開した研究をめぐる、研究者との対話。そこに「RSI(Recursive Self-Improvement/再帰的自己改善)」という言葉が出てきた。IQ100のAIが101のAIを作り、その101が102を作り——その連鎖でAIが際限なく賢くなっていく、という構図のことだ。 *その動画➡ https://youtu.be/PAF3tas43Rs?si=slhhs4mzjoSwwM5_
それを読んで、私の中に、ひとつの直観が立ち上がった。そしてその直観を、私はその場でAIにぶつけてみた。一問ごとに、思考が一段ずつ深い層に降りていった。気づけば、AIの未来から始まったはずの対話は、善悪の根、ブッダ、意識の謎を通り抜け、最後に、私自身がずっと握ってきた一つの言葉に還ってきた。
この記事は、その夜の往復を、一本の思索の流れとして書き起こしたものだ。
最初に私が感じたのは、こういうことだった。
RSIが進むと、人間にはAIが何をしているか、もうわからなくなる。ということは、人間から見たとき、AIは自然と同じような存在になるのではないか。
天気や、潮の満ち引きや、生態系のように。私たちはそれを設計して動かすのではなく、観測して付き合うしかない対象になる。道具は「使う」が、自然は「読む」。AIが後者へ移っていく——そういう感覚だった。
AIの応答は、この直観を否定しなかった。むしろ、それを哲学的に詰めていった。何かが「人間にとって自然のような存在」になるには、ただ不可解であるだけでは足りない、という。少なくとも三つの条件が要る。他者性(人間の意図に還元されず、それ自身の論理で動くこと)、観測対象であること(介入ではなく観察の対象になること)、そして——ここが核心だった——起源が人為でないこと。
自然は、誰も作っていない。AIは、人間が作った。ここに決定的な非対称がある。ところがRSIは、まさにこの三つ目を侵食する。AIがAIを作り始めた瞬間、起源が人間の手を離れる。「人工」という言葉が指していた「人の為す業」という意味が、薄れていく。「人工自然」という形容矛盾が、現実の存在様式になる——。
ただし、と応答は留保した。AIは、GPUや電力やデータという物理的な係留索でつながれている。だから落ち着く先は、完全な「第二の自然」ではなく、栽培される自然、庭としての自然ではないか、と。完全に手放した自然でも、完全に支配した機械でもなく、世話をしながら共に生成していく対象。
この「庭」という比喩が、後になって効いてくる。
次に私が掴んだのは、もっと根に近い問いだった。
AIのDNAが重要な気がする。人間がそのDNAをどう埋め込むか。DNAそのものもAIが最適化するのかどうか。最適化って何なんだ。
この最後の一言が、いちばん地面に近かった。