この文章は、私(栗田)がAIと対話しながら考えを深めていった、ある一日の記録です。少し理屈っぽいところもありますが、私が今、経営というものの一番深いところで何を大事にしているのかを、正直に書いてみました。

はじまりは、一本の動画から

茂木健一郎さんが「生きがい(IKIGAI)」について語る動画を見ました。以前もご紹介した方ですが、今回はそこから、思わぬところまで考えが進みました。

【茂木健一郎が語る】天才たちがなぜか知っている脳の使いかた

生きがいの見つけ方 生きる手ごたえをつかむ脳科学 (PHP新書)

茂木さんの話をたどっていくと、その先生は養老孟司さん、そのまた先生は三木成夫という解剖学者、そして根っこにはゲーテの「ものの形は変化し続ける」という思想がありました。一つの原型が、時間の中で形を変えていって、いろんなものになる。この見方は、私が長らく大事にしてきた「パターンランゲージ(同じ形が、大きさを変えて繰り返される)」と、別の道から同じ山を登っているように感じました。

さらに思い出したのが、空手家の南郷継正という人です。この方は、武道を「上達とは何か」という問いとして、学問のレベルで語った人です。拳の握り一つから、どう人は上達していくのかを徹底的に見つめた。私は最初、この人もゲーテの仲間かと思ったのですが、調べてみると違った。南郷さんはヘーゲルという別の哲学者の系統でした。

ところが、ここで自分の“分裂”の理由が見えた

面白いことに、この南郷さんの考えは、私が普段お話ししていることと、ある意味で真逆なんです。

私はよく、「あり方(どういう自分でいるか)を変えれば、見えてくる世界が変わる」と言います。「可能性の会話」もそうです。これは本当です。でも南郷さんは逆に、「まず動かない現実(外の世界)がある。それを正確に、ありのままに映し取る訓練を積むことが、上達だ」と言う。

どちらが正しいのか。——と考えていて、はっとしました。どちらか一つを選ぶ問題ではなく、この二つが自分の中に両方とも流れているということに気づいたのです。

私は近大の水産学科を出ています。魚を、海を、ジッと観察して記述する訓練を受けた人間です。釣りもする。魚は、こちらの都合では釣れない。こちらがどれだけ丁寧に手入れしても、魚が向こうから応えてくれる瞬間は、こちらから催促できない。これは、外の世界をありのままに尊重する感覚です。

一方で私は、「可能性を言葉で発明する」とも言う。あり方を変えれば現実の見え方が変わる、という側です。

この二つが、自分の中でちょっとした矛盾として感じられることがありました。でも今日、その矛盾の正体が分かった。これは欠陥じゃない。二つの頂上を、両方とも実際に登ったからこそ、両方が自分の中で鳴っているのだと。片方しか知らなければ、矛盾も起きない。分裂は、二つとも本気で生きてきた証拠だったんです。

分裂ではなく、「呼吸」だった

そう考えると、これは押さえつけ合う二つの力ではなく、呼吸のようなものだと思いました。

息を吐くように、覚悟を決めて前に出る。息を吸うように、今目の前で何が起きているかを、ありのままに受け取る。どちらか一方だけでは、人は生きられない。吐きっぱなしでも、吸いっぱなしでも、苦しい。

この呼吸に、私は今日、正確な名前をつけました。