録音 38.m4a

おはようございます。栗田です。本日の朝礼を始めたいと思います。今日はですね、『夜と霧』という本を書かれたヴィクトール・フランクルさんの話をしたいと思います。この『夜と霧』という本はですね、世界で5番目に読まれているというようですね。大ベストセラーなんですけれども、ユダヤ人の方で第二次世界大戦の時にナチスに捕まってですね、強制収容所の生活を本にしたものなんですね。そしてですね、このヴィクトール・フランクルさんがとても重要な言葉を言われてます。まぁたくさんあるんですけども、その中で私が特に印象に残っている言葉がですね、「人生には特に意味はありませんよ」と。しかし「人間というのは人生の方から意味を問われる存在なんだよ」という話をされているんですね。

どういうことかと言いますとですね、2つプラスとマイナスの話をさせてもらいますが、最初にマイナスのほうの話から言うとですね。クリスマスの翌日にはですね、とても多くの方がですね、自殺する人が多かったそうなんですね。そもそもすごく絶望的なこの強制収容所での生活なんですが、クリスマスにはですね、何かいいことがあると神様が助けに来てくれるんじゃないかと奇跡が起こるんじゃないかということを期待して希望を持つみたいなんですけども、何も起こらないとそうするとですね、その絶望はより極まってですね、もう無理だということで死んでいくと、自殺してしまうということが多かったそうです。人生のほうに意味を問うても何もなかったということなんですね。

そしてもう一つの話がですね、プラスの話ですが。このフランクルさんが極寒のマイナス20度の中でですね、土木作業させられているときにですね、とても辛いとしかしですね、この体験をですね、自分はここから出て行ってですね、戦争が終わって出て行って心理学者として大成して1000人の聴衆の前でスピーチをしているシーンを思い浮かべながら、この苦しみに耐え抜いたそうです。同じ事実、強制労働させられているという事実は同じなんですが、そこにどのような意味をつけるか、ただただ「こんなことあかんねん」と思ってやるのと、「千人の聴衆の前で話をするネタになるんだ」と思ってやるのとではですね、ずいぶん気持ちが変わると思います。

という意味で、私たちも日々の生活の中でそれぞれにですね、それぞれの意味、それぞれの物語を生きていると思います。これはですね、自分が作っているものなんだよと。なので、自由に選ぶことができますよと。人生の方から意味を問われている存在だから、意味を創ることができる、物語を作ることができると。それをですね、あえて自分が創作してですね、自分や自分の身の周りの方々が幸せになるような、そういう物語を創作して、生きてみるということによって、すごく前向きな可能性のある人生に変わっていくかもしれないということを示唆している本です。ぜひですね、皆さんも読んでもらいたいと思うのですが、本日もよろしくお願いいたします。以上です。